雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

#37

 映画の『ジョー・ブラックをよろしく』を見はじめた。時間がなかったから冒頭だけ見た。若いころのブラット・ピッドがあまりにも美青年でびっくりする。この映画が公開されたのは1998年頃。僕は幼稚園児だった。そう思うと、映画を観ながらノスタルジーがわいてくる。住んだことはおろか、見たこともないのに、当時のアメリカの街並みが懐かしかった。ノスタルジーって本当にいい加減な感覚だと思う。

 住んだことのない土地や風景に抱く偽物のノスタルジー。今日は海辺の風景が頭に浮かんで、やっぱり偽物のノスタルジーを感じた。おそらく、風がつよかったから「風がつよい→風にあたって肌が疲れる→泣いたあとの感覚に似てる→涙は海水に似ている」の連想で海が思い浮かんだのだと思う。それと昨日、中田永一乙一)の短編『なみうちぎわ』を読んだことも影響していると思う。住んだこともない海辺の田舎町が思い出されて『懐かしいな』と思った。関東平野の真ん中で生まれ育ったから、海とは無縁の幼少期だったのだけど。でも懐かしい。豊かなことだと思う。

 書きながら気がついたのだけど『ジョー・ブラックをよろしく』と『ブラック・ジャックによろしく』はタイトルが似ている。なにか関係があるのだろうか。

#36

 毎日書けたら書こうと思っていたのに、いろいろあって(法事、体調不良など)リズムが崩れて、それが元に戻るのを待っていたらひと月近くたってしまった。まだ元に戻ってはいないのだけど、ひと月待って戻らないものは何ヵ月待っても戻らないから、もう待たないで書くことにした。

 本当に書けなくて困っているのはこのブログより小説のほうで、最後に小説らしい文章を書いたのはもう一年以上前のことだ。一年前だってコンスタントに書けていたわけではない。毎日コツコツ書けていたのは5年も前のこと。もうどうやって自分が小説を書いていたのか思いだせない。それでも、今でも毎日「書かなきゃ」と思う。書かなきゃ、だからもう趣味ではなく義務や固執になっている…と、意地悪な言い方をするのはあまり良くないのかもしれないけど。小説を書くのが心の底から幸せで満たされていた頃にもどりたい。ブログを書くことがそのキッカケのひとつにならないかなと思ってる。大した物書きだったわけでもないのに、自分の人生において小説を書くことの占めるウェイトがあまりにも大きい。だからこそ書けないのか、と考えれば考えるほどスランプが深まっていく。休むしかないのだろうか。

 これだけのことを書くのに20分くらいかかる。スマホを睨みつづけていたせいで視界がぼやけた。やっぱりまだ本調子ではない。

 

 

#35

 宇佐見りんの『推し、燃ゆ』を今さら読みはじめた。序盤の、前の席から主人公へプリントが回されてくるシーンを読んで懐かしくなった。後ろの席のヤンキーが眠っているときは、起こさないで机の端っこにプリントを置いて、もう一つ後ろの席の子にプリントを渡していたな、とか。振り向いて「はい」とプリントを渡してくれる人と、振り向きもせず肩のあたりでパタパタさせるだけの人と、いろいろいたな、とか。こういう記憶ってどうして残っているんだろう。普段は全く思い出さないのに。どうして忘れてしまわないのか。思い出さないときはどんな形をしているのか。

 格闘技を見るのが好きで、この前推しの選手が世界王者になってとても嬉しかったのだけど、そのことを誰とも分かち合えないことが今回、急に引っかかった。悲しいことも嬉しいことも、些細なことも重大なことも、昔から人と分かち合わない。なにかが腐っていくと思う。社会動物としての機能。社交に使われる能力、脳の領域。そこが廃れることは社交以外にも影響する気がする。

 だからといって誰かと毎日話をするのは難しいけど、せめてブログに書き残さないとな、と思った。そう思って最近またブログを書いてる。今回はなるべく長くつづけたい。脳機能のために。

#33

 昨日は休みだった。疲れていたから午前中は何もせず椅子に座ってぼーっとしていた。午後になって少し回復してきたからNetflixで映画『愛がなんだ』を観た。

(以下ネタバレを含む)

 コンビニの前でテルコと仲原君が会話するシーン。あそこの脚本すごいな。よくあんなふうに書けるな。角田光代の小説が原作のようだけど、原作ではどう描かれているのだろう。

 自分を客観視するには他人+痛みが必要なのだなと思った。仲原君と葉子にはそれがあった…他人からの容赦ない指摘と、それに傷つき心を痛める時間が二人にはあったと思う。でもテルコとマモルにはそれが無さそうに見えた。他人からの指摘を受けとめて、でもそれを傷つかないような解釈に落としこんでしまった。だから二人の関係は変わらなかった。変わらなかった、でもそれがなんだ…という映画だったのかな。よくわからない。エンドロールが終わって最初に浮かんだ感想は、『これってどういう映画なんだろう』だった。

(ネタバレ終わり)

 去年のいつ頃だったか、たぶん夏の放送回だったと思うけど、日曜日の朝にやってる『遠くへ行きたい』という旅番組のなかで、綿谷りさが「この旅の経験が言葉になるのは今日や明日ではなく数年後」という話をしていた。他の小説家も似たようなことを言っていた。村上春樹は「頭の回転の遅い人のほうが小説家に向いている」と言っていた。小説家はよくそういうことを言う。小説家たちのそういう、時間の流れを信頼して身を任せきっているような、ゆっくりゆったりした生き方や考え方が好き。

 昨日観た『愛がなんだ』の感想も、昨日や今日ではなくて、何日も何ヶ月もたったある日、ふいにまた言葉になるのかもしれない。多くの時間を含んだ言葉は深みを増すし、重みも増す。そういう言葉をたくさん抱えて生きたい。そのほうが自分自身も安定する気がする。重しみたいに言葉を自分の底に沈めて敷き詰めたい。

 

 

#32

 深夜一時に目が覚めてトイレへ行ったらリビングの明かりがついていた。覗いたら母が本を読んでいた。びっくりした。早く寝てほしかったけど、会話の少ない親子だから「起きてないで早く寝たほうがいいよ」とは言えなかった。気づかれないよう静かに自室へ戻った。僕がベットに戻って数分すると母が寝室へ移動する音がした。それを聞いてから耳栓をして目を閉じた。それから暫く寝つけなかった。それで今日は寝不足だった。

 夕方の休憩時、昨日から観ていたナショナルジオグラフィックマヤ文明回の続きを見た。マヤ文明では儀式や生贄が盛んに行われていた。番組では、地下洞窟や遺跡から、生贄にされたと思われる人間の遺骨が発見されていた。洞窟の暗い水底に沈む頭蓋骨。地中から引き上げられる乳歯や切断された後頭部の骨。神に捧げる生贄は貴重なものであるほど良い。当時マヤ文明で最も貴重で価値のあるものは子供だった。以前どこかで、生贄の文化は輪廻転生の思想のある地域でないと発生しないという話を読んだ。マヤ文明はどうだったのだろう。そういった話は最後まで出てこなかった。

 マヤ文明の回を最後まで観て、まだ休憩時間に余裕があったから、仮眠をとることにした。タイマーをセットして目を閉じる。屋上の休憩室。出入口付近のテーブルで眠っていたから、隙間風がずっと足下に吹きつけていた。春みたいな風だった。弱くてぬるくて心地いい。よく眠れそうだなと思ったのに、うとうとしている内にタイマーが鳴った。今日は眠るのがずっと下手だった。

#31

 現場の移動の無い日だった。祝日だからよその会社は休みらしかった。現場の移動がないと楽だ。移動時間も勤務時間に含まれるからそのぶん休憩できるでしょう、と言われるけど、それで体は休めても心は休まらない。よその会社のインターホンを押すのは緊張する。通用口の暗証番号を教えてくれたら良いのにといつも思う。黙って入って黙って作業して黙って退室したい。その方がお互い楽でしょう、と思っているのはこちらだけなのかもしれない。みなさんいつも笑顔で迎え入れてくれる。身内ではなく客人に向ける丁寧な笑顔。

 少しずつ日が長くなってきた。帰りの電車の車窓、暗い窓のむこうに薄っすらと山の稜線が見える。空に光があるからだ。錆色の雲がある。夕焼けの残骸みたいな色。この間までそういう景色は見えなかった。真っ暗で、街灯もない田畑のあいだを走るときは、車内が窓に鏡写しになっていた。景色が見えるほうが好きだから今くらいの暗さがちょうどいい。

 もうすぐ暖かくなるらしい。カイロが尽きたのだけど、もう買い足さないほうがいいのだろうか。

#29

 雨のせいで薄暗かった。晴れたと思ったらもう夜だった。日に日に夜が長くなる。年末を意識する。年が暮れていく雰囲気が好きだとつい最近まで思っていたのに、今年はなんとも思わない。街にクリスマスツリーが光りはじめた。クリスマスソングはまだ聴こえない。噛み合わない。噛み合ってくれない。

 八月に、自宅の最寄駅からグリーン車に乗って、終点の駅まで景色を眺めるだけの旅をした。車窓を眺めるためにグリーン券を買った。贅沢な時間。今年はあの一日だけがきちんと夏だった。この冬もあれをやりたい。遠くの県の知らない街へ行って、自分とは関係のない人たちの暮らしを眺めたい。関係ないから綺麗なところだけ見えるだろう。関係のない街と人間は本当に綺麗に見える。

 一番小さい歯車みたいな一日の、小さな悪循環と戦っている。歯車の大きさを見誤らないように気をつける。もうすぐ30歳になる。風の音が聴こえる。流れる雲と細い月をイメージする。一見関係のない物事とイメージをあつめて歯車にする。いまの自分とは関係のない自分になるために。