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屑の赤裸々

クズが日々の想いを赤裸々に綴ります。脱クズ目指してます。日記始めました。

288日目 「気にし過ぎ」


大した話ではないんだけど。


「気にし過ぎだよ」


「気持ちの問題だよ」


「前向きに考えよう」


「それは君の思い込みだよ」


という類の言葉が、素直に飲み込めない。


言われてしまうと何も言えなくなる。


全て飲み込んでしまうしかなくなる。


それから


「やっぱり自分次第なんだなって分かったよ」


「だよね、落ち込んでても何も生まれないもんね」


「自分が動けば何でも変えられるんだ」


と答えるしかなくなる。


そう答えることを向こうが望んでるのも分かるから、こういう嘘はスッキリしたような笑顔とセットでいくらでも言える。


高三の時に心の問題について自分で調べ始めてから、だいたい五年くらい経つ。


その間に「僕みたいな人」に求められる「理想の態度」は何となく掴めてきた。


で、多分それが、そのままイコールで心の問題の解決に繋がるんだろうなってことも分かるから。


あと何より有難いし。


大概「気持ちの問題だよ」系の言葉をかけられる場面っていうのは、こちらが悩みをぽろっと口にした時だから。


変なもの聞かせてしまった上にカウンセラーみたいな態度を求めるのは、そりゃあそんな厚かましいことはできない。


「その通りだよね。なんか気持ちが楽になった。ありがとう」


と言うしかない。


いや「ありがとう」というのは本音だ。本当に。もしかしたら「申し訳ない」に近いかもしれないけど。


ただ。


やっぱり正直「気持ちの問題だよ」と言われてしまうのは、しんどい。


何と表現すれば良いのか…。


「君のそれは全く問題ではない。問題とは呼べない。本当は落ち込むに値しない。にも関わらずにそうやって落ち込んだフリをしているのは甘えているからだ。言い訳だ。構ってちゃんだ。本当は問題なんてないのに嘘を吐いているんだ。本当は傷ついてないし困ってることなんてないんだ」


と言われている気になる。


もちろん被害妄想だ。相手は「気持ちの問題だよ」としか言ってない。


ただの被害妄想…まさに。だから、「こういうふうに言われてる気になる」なんて口にしなら「やっぱり!そうやっていつも被害妄想してるんだ!」と鬼の首を取ったように言われてしまうだろうから、言えない。


というのも、妄想。


妄想。被害妄想。全部、頭の中で想像してるだけ。


これでは


「行動しないと何も変わらないよ」


「自分で自分を追い込んでるんだよ」


「自分次第なんだよ」


と言われてしまうな。


そう。本当に。


絶対的に、こういう言葉は正しい。


完璧だ。ぐうの音も出ない。僕には歯が立たない。


苦しんでいた自分、被害者ヅラしていた自分が、全否定される。


これはしんどい。


本当に。


けど「しんどいです」なんて言えない。


それは心の悩みを解決したい人間のあるべき姿ではないからだ。


「思い込みだよ」


「考え過ぎだよ」


と言われたら、こういう葛藤を全て飲み込んでしまうしかない。


飲み込んでしまうということは、二度とその相手には相談できないということに等しい…僕の中では。もちろん「そんなことはない」んだろう。分かってる。


しんどい。


そして何より。


こうやってグズグズと考えていることが、好ましくない。


「そうやって他人にばかり求めてる」


「自分で自分を変える気がないんだから解決する訳ないじゃん」


という訳だ。


こういう奴は嫌われる。


暗い。ぐちぐち考えて。考えているフリをして何も考えてない。全て自己完結して。


「だから何だよ」


「結局つまり、言い訳だろ」


ということだ。


そうなると、明るいフリをするしかない。


根暗、というのは本当に驚くほど嫌われる。目の敵にされる。一体どれほど不快な生き物に見えているんだろう。


根が暗い、と書くくらいだから、特に落ち込んでいなくても暗いのが普通なんだけど。


そんなのは、まず信じて貰えない。


奇跡的に信じて貰えたとしても「気持ち悪い」となるだけだ。


だからせめて「今は消耗して暗くなってるけど、本当は皆と同じで元気になれば明るくなるんだよ!」というメッセージを発信するしかない。


「気にし過ぎ」「自分次第」なんて言葉も、「そうやって言ってるけど実は他人に甘えてるだけなんだ」という「核心を突く言葉」も、本当は数え切れないくらい今まで通ってきた。


何故なら僕らみたいな人はそういう言葉に飢えてるから。例えば「悩み  名言」みたいに検索して出てくるものや、各種のお悩み相談の掲示板に載っているベストアンサーは、もう散々あさり尽くしている人が多いのではないだろうか。


それでも「そんな視点はなかった! 一気に世界が明るくなったみたいだ!」というような反応を…ああいやこれは大袈裟すぎるけど、ある程度は、するしかない。


根暗って思われたくないから。


本当は複雑な気持ちがあるけど。


飲み込んで「馬鹿」になるしかない。


「悩んでいる人間はすべからく馬鹿」というのは安心できるだろうから…誰かに聞いた訳じゃないから、実際のところはどうか分からないけど。


それに実際馬鹿なんだろう。そりゃそうだ。


そんな馬鹿が「そんな簡単な言葉をかけないでくれ」なんて身の程知らずなことが言えるだろうか。


「そうやって本当は相手を見下しているんだろ」


「周りを馬鹿にしてるから誰も君の話を聞かないんだよ」


「自分が何でも知ってると思うな」


「全然自分の状況が分かってない」


見える。というか、どんどん浮かんでくる。


言える訳がない。



というようなことを


「気にし過ぎだよ」


と言われた時に飲み込んでいる。


というだけの話。


そんなに長く書くつもりはなかったのに、随分とぐだってしまった。


最近は少し落ち気味かな?


まあそういう時期もある。


暫くすればまた好調になるだろう。


多少、疲れてるだけだろうから。


あまり疲れてる時に考えていることは間に受けない方が良いらしいし。


自分を大切に、前向きに頑張ろう。


ではまた。

280日目 「結局はモテたいんだと思う」



ここでも頻繁に書いている通り、僕は眠るのが下手だ。慢性的な不眠症…と言ったら大袈裟か。


これは記憶が正しければ、中学生の頃から始まった。


ベッドに入っても眠れない。


目を閉じ続けても、金縛りにあったようにじっとしていても、羊を千匹数えても……眠れない。


最悪、目を閉じたまま空が白んでしまうことがある。


そしてどれだけ調子が良くても、1時間は粘らないと眠れない。


眠れたとしても熟睡できない。朝は毎回眠くて体が痛くて、しんどい。


原因はストレスだと高校生の頃からぼんやりと分かっていた。


けど対処のしようがなかった。


高校でのボッチ生活も、大学での引きこもりライフも解決はできず、つまりストレスの原因は断つことができず、眠れない日々は当たり前になっていた。


が。


そんな不眠ライフに最近、大きな変化が起きた。


それはスマホで「成人後に身長が伸びた人の話」を調べていた時のこと。


……そう、僕はまだ身長を伸ばしたいと考えてる。そしてそれは不可能なことではないかも、と思える気分に最近はなっていた。例えば前回書いた「正しい足裏の使い方」の件みたいに、勝手に諦めているだけで本当は変えられることが自分には沢山あるのでは?と。自分の可能性を信じたくなる時期に入っていた。


それで、成人後に身長を伸ばした人のエピソードを読んで、何かヒントを得られないかと考えていた。


そんな中、ふと目に留まった一文があった。


「そういえば、私の周りには成人後に背が伸びた人が何人かいるんだけど、みんな隙あらば睡眠をとってたな」


これを読んだ時、頭の中で何かしらの枷が外されるような感覚がした。


今にして思えば、僕の中の「睡眠」に対する認識が変わったのだ。


「おー、なるほど。眠るの大事なのね。ふむふむ」


くらいにその時は軽く考えていた。


まさかこれが自分に大きな影響を及ぼしていたとはつゆ知らず。


そして偶然は続いた。


今度はツイッターを眺めている時のこと。


僕は四つあるツイッターアカウントを駆使して、その日に話題になったツイートを追いまくるのが好きだった。


その時も話題のツイートを目で追っていた、その中のあるツイートに


「最近の人は眠らな過ぎ。本来、若い人は少なくとも9時間は眠らなきゃいけないのに」


と書いてあった。


また、頭の中で何かが外れた。


「なるほど。やっぱり眠るの大事なのね。9時間も必要なのか。ふむふむ」


と、やはり軽い感想を抱いて…しかしこの時には、自分の中で睡眠が少しポジティブな印象に変わっているのを自覚していた。


そしてその夜、これらの効果が現れた。


すんなり眠ることができたのだ。


朝目が覚めて驚いた。


「あれ?なんか調子良い。こんなん久しぶりだな」


と。


偶然か?と思ったけど、その翌日も、翌々日も、心地良い睡眠をとることができていた。


理由はすぐに思い当たった。


あの時、あの二つの文章を読んだ影響だ! と。



多少は分かっていたけど、僕は今まで「眠ることに罪悪感を抱いていた」のだと思う。多分。


ストレスで神経過敏になっていたのも一因だけど、この睡眠に対する罪悪感も、なかなかに大きなウェイトを占めていたのだろう。


「もう眠って良いのか?まだ今日やり残したことがあるんじゃないか?あれとかこれとか…ああ眠る前にやろうか、それとも…」


みたいな葛藤が脳内で繰り広げられていたのかもしれない。


まあ、そんなことには気づいていた。


ただ解決法がなかった。


一日の最後に自分を褒める、できたことを数える、筋トレをする、音楽に浸る。


みたいなことを試してみて、特に筋トレと音楽を聴くのは今も継続中だけど、劇的な効果はなかった。


それが


「眠ったら背が伸びるかも!」


「もっと眠るのが正しいんだって!」


という知識を得た途端、こうもあっさりと…単純なやつ…。


眠る=疲れを取る時間=疲れてなければ無駄な時間=俺は皆に比べて疲れていない=眠る資格がない


みたいな式が、多分無意識の中にあった。


それが


眠る=背が伸びる=足が伸びる?=もしかしてモテる?=眠るしかねえ!!


みたいに変わったんだろう。


馬鹿っぽいけど、まあ、良かった。


こういうことは初めてではない。 


筋トレの時もそうだった。


筋トレ=スポーツのためのもの=ハードにやらないと意味ない=俺には無縁てか疲れるからやりたくもない


だったのが


筋トレ=良いホルモンが出て心にも良いし顔つきも変わるらしい=あれ、もしかして人生変わるかも?あとモテるかも?=やってみるか!


と変わった。


モテるかも?が僕には相当効くらしい。恥ずかしいけど仕方ない。僕も一応男だし。


いやでも、こういうシンプルで分かりやすい正直な欲求が大切なんだろう。


何だかんだ高尚な理由を並べても、僕は表面でしか説得されない……まあ高尚な理由でも突き動かされるものはあるけど。


基本は、やっぱり「モテたい!」「頭良いね〜って言われたい!」「褒められたい!崇められたい!愛されたい!愛したい!」みたいなとこが強い。


こういう欲求を上手く手綱とれるようになれば、巡り巡って人生変わるのだろうし、理想の自分とやらにもなれるのかもしれない。


……いや。


だから、そういうのを上っ面だと言うんだ。


違うだろ。


モテたい!!


だからモテそうなこと探してやろうぜ!!


モテる為なら俺そこそこ頑張れるわ!!


これだ。



何か、とんでもない恥をさらした気がする。


まあでも「屑の赤裸々」とか掲げて日記書いてんだから、これはこれで正解か。


じゃんじゃん晒してこう。これも「モテる」に繋がると信じて。


ではまた。

278日目 「歩き方一つで変わる」



最近知って衝撃を受けたことがある。


正しい歩き方についてだ。


正確には、正しい足裏の状態について。


そんなものがあるのか、いや、確かにホンマでっか辺りで見聞きしたことがあるような無いような。まあ気にして歩いたことはない。


何でも、正しい足裏の状態には三つのポイントがあるらしい。


一つ。親指と小指、親指と小指の付け根、そして踵、これらが地面につくのが正しい足の裏の形。


二つ。上記以外の部分は地面につかず(重心をかけず)、足と地面の間に幾つかのスペースが生まれていると良い。例えば土踏まず。


三つ。上記の部分全体に均等に重心がかかっているのが良い。例えば踵に多く重心をかけているのはNG。


……ということらしい。


で、正しい歩き方というのは、これらのポイントを意識した歩き方だそう。


これらが疎かになっていると、例えば足の形が歪んでしまったり、全身の姿勢が悪くなったり、脚の筋肉のつき方に悪影響が及んだりするらしい。



ちなみに。


これは軽くネットで調べただけのものなので、あまり鵜呑みにはしないで貰いたい。


ただ、個人的には思い当たる節があった。


あった、というか、ありまくりだった。



僕は上記のポイントが全く実行できていない。


歩く時は足の外側を使って歩いているし、親指と小指はほぼ使っていない。


そして重心のほとんどは完全に踵に乗っている。


その結果、僕の足はどうなっているかというと。


まず、足の小指は両方とも横に寝た状態になっている。指の外側が地面についているのだ。


そして足の外側が変に潰れて肉が多い。


もちろん土踏まずはほぼない。親指も曲がっている。


更に影響は脚全体にも及んでいる。


足の外側を使って歩いているせいか、ふくらはぎも太ももも、外側にしか筋肉がついていない。


……これは本当に小さい頃からコンプレックスだった。


何故か脚の形がおかしいのだ。O脚、つまり骨が歪んでいるということもあるが、それ以前に、脚の内側に筋肉がつかないのだ。


これは非常に見た目が悪く、体育の授業で短パンを履くのが苦痛で仕方なかった。


ずっと不思議だったけど、そういう脚の形に生まれたのだと思って諦めてきた。


が、違う。


足裏の使い方を間違えていたから、間違った筋肉のつき方をしてしまっていただけなんだ。



つまり、治せるかもしれない。


そのことに思い至って愕然とした。


そして「自分の脚の形は間違った足裏の使い方によって引き起こされている」と認識してしまうと、放っておいてはいられなくなった。



ということで。


最近は正しい足裏の使い方を意識して生活している。


こういうものは目に見える効果が現れるまでに数ヶ月はかかるらしい。


なので、はっきりとした実感はまだない。


ただ、筋肉への影響は少し感じられる。


実は最近、途絶えてしまっていた筋トレの習慣を再開させた。


その筋トレメニューの中にスクワットがあるのだけど、スクワットの効果が前と全然違う。


今まで痛くならなかったような場所が筋肉痛になった……そして恐らく、これが正しいスクワットの効果なんだろうなと分かる。


何というか、今まではスクワットをしても鍛えられている感じがしなかった。


けど正しい足裏の使い方を意識して行ったスクワットでは、きちんと脚が引き締まっていく感覚を得られた。


ずっと姿勢ばかり気にしていたけど……もしかしたら足裏の使い方が間違っていただけなのかもしれない。


他にも、普段の歩いている時の感覚も全然違う。


今までは上手く地面を蹴れている気がしなかったけど、今はきちんと地面を捉えられていると分かる。


多分、走ったら今の方が少し前の僕よりも速い。


……そうだ、学生時代は足が遅くて、それで色んな人に笑われて悔しくて毎日ランニングしたりして、それでも一向に速くなれなくて苦しかったけど、あれだって足裏の使い方が問題だったのかもしれない。


本当に。


自分が間抜けに思える。


と同時に、世界が一気に開いたような感覚もある。


もう誰かと徒競走をしたりする機会はないだろうけど、やっと僕は「学生時代の徒競走にまつわるトラウマ」から解放されるのかもしれない。


……いや、まだ決まった訳じゃないけど。


気分的には、今回の件はそれくらい僕に衝撃を与えたということ。


歩き方一つで普段の生活がこんなに変わるのか?


と感動してる。


足裏の使い方が間違っている、脚の筋肉のつき方が歪になる、足が遅くなる、下半身の形にコンプレックスを持つ、姿勢が悪くなる、脂肪の燃え方が効率悪くなる、顔つきが悪くなる。


……みたいな悪循環が起きていたと言われても、今なら納得できる。


心なしか最近は顔がスッキリしてきたのだけど……きっと足裏の使い方と関係がある。と思う。



もちろん体にまつわる諸悪の根源を「間違った足裏の使い方」に求めてしまうのは安直過ぎると思う。


けど、要因の一つであることは間違いないと思うんだよな……。


そして、こういう些細な間違いが積み重なって、自分のコンプレックスを生んでいるのかもしれない。


小さな問題を一つ一つ解決していけば、このブサイクな顔だって多少はマシになるかも……。


うん。希望が出てきた。


諦めるにはまだ早い。


あと、たまにはこうやって肉体的な悩みについて考えるのも良い。巡り巡って精神的にもプラスになる。


あらゆる角度から自分を救っていこう。


ではまた。

275日目 「心療内科の前まで行ってみた」



最近、カウンセリングを受けることを考えている。


理由は今の環境に閉塞感を覚えているから。


このままバイトを続けても何も変わらない…バイト辞めないと…けど親になんと説明する…親とまともに話せない…認められなかったら…就職は…次もバイトで良いのか…辞めたところでどうする…。


と、まあ一人で考えがまとまらない。


客観的な声が欲しい。


けど、安易に悩みを打ち明ければかつての二の舞だ…そして無意味に傷つくのだろう。


ならいっそプロを頼ったら良いのでは?


ついでに全ての因縁にもカタをつけられるかもしれないぞ?


と思い心療内科を検索。


前に一度、心療内科を利用した時の反省から、今回はカウンセリングを重視して検索した。


そして、職場の近くに一つ発見。


どうする? 電話予約する? でも俺なんかが行って良いのかな?


というグダグダが始まったので、考えるのは止めて、とりあえず心療内科の前まで行ってみた。


10階建てのビルの中に心療内科はあった。ビルの大半は色んな会社のオフィスになってるいるみたいだった。


ビルの前に立ってみて…まあ特に心境の変化はなく。


ただ考えにリアリティを持たせることはできたと思う。


「あそこに行くんだ」


と。心の準備はしやすい。


まだ行くかどうかは分からない。


けど、行かなければ何も変わらないだろう。


勇気を出せ自分。


早い内にここで報告できたら良いな。


ではまた。

272日目 「依存するのは人でなくても良いのか?」


今日もまた振り幅の激しい一日だった。


まず清掃バイトで緊急事態が起きた。お客様がエスカレーターを汚してしまったのだ。しかもその汚したというのが……あまり公の場では言えないような汚し方だった。


巡回していた僕と先輩に事態を報告してくれたのは近くの花屋さんだった。現場へ行ってみて愕然とした。そして汚した本人はどこにも見当たらなかった。


清掃するに際して、エスカレーターにお客様を乗せる訳にはいかなかった。


お客様をもう片方のエスカレーターへ誘導する必要があった……その役目を僕が任された。


「申し訳ございません! こちらのエスカレーターは清掃中ですので、あちらのエスカレーターをご利用ください! ご協力お願いします! 申し訳ございません!」


みたいなことを一時間くらい大声で言ってた。


しかも一人で。


先輩方は清掃していて僕の傍には居なかった。


お客様の誘導……なんて勿論やったことはなかった。けど、僕は以前に警備員のバイトをした経験があって、そこでこういう場合なんと声掛けをするかの知識を少し耳にしていたのだ。


頭をフル回転させて、慣れない大声と慣れない言葉遣いと、お客様の怪訝な視線と……疲れた。


エスカレーターの前に立っているだけでお客様は察して避けてくれる、なんてことは勿論ない。こちらが声をかけないと乗ろうとしてしまう。


結局、最後の方は警備の人が来てくれたので助かった。やはり僕とは違って声も通るし、誘導がスムーズだった。


僕とは全然違う。


だからヘコむ……ということは実はなかった。


ただの清掃員、それも去年まで引きこもりだった割には良くできた方だと思う。


それに先輩にも「ごめんね一人で。お疲れ様。助かったよ」と言ってもらえて、素直に嬉しかった。


とんでもなく疲れたし消耗したけど……そんな訳で終わり方が良かったから、後悔はない。


良かった。


そんなバイトを終え、その足でライブへ行った。


ライブ。


今週三日目のライブだ。


そういう週にしようと、友達と相談していた。


最高に楽しかった。叫んで笑って……本当、普段の自分を忘れて会場にいる全員と一体になれるのはこんなに気持ち良いことなのか、と。


今は、このライブの帰りの電車でブログを書いている。


バイトのことを書いたけど、ライブが良過ぎて日中の苦労が頭の中に残っていない。


振り幅はすごかったけど、トータルとして良い一日だったし、良い夏の締めくくりになった。



こういう経験が自分を強くする……というか、自尊心を高めるのかなと思う。


少し前に「自立するとは、依存する先を増やすこと。依存するものが大量にあるから、どれか一つに拘らないし、支えるものが沢山あるから、滅多に折れない」というようなツイートをツイッターで見かけて、深く同意した。


このツイート主さんは依存先を「人」に限定していたような記憶があるけど、僕は依存するものは必ずしも人でなくても良いように思う。


例えば経験。今日の僕は苦手な作業を一人でこなして先輩に感謝された。きっと暫くは何回も思い出して、自尊心の足しにするのだろう。


あと今日のライブもそう。あの会場では僕の過去や普段の劣等感なんて全く関係なくて、一人のファンとして皆と一つのステージに心酔できた。あの感覚はきっと自尊心を満たしたし、また行きたい、苦しくなったらあそこでリフレッシュしたいと思える。


他にも、景色とかも僕にとっては大切な依存先だ。中高生の頃、僕は自転車で誰も居ない田舎の外れを走って心を癒されていた。見渡す限りの田園風景は、絶望的に思える時もあったけど、決して僕を否定したりしなかったから、何回も自転車で走ってポーッとしていた。あれは僕の心をギリギリのところで繫ぎ止めてくれた物の一つだ。


あとは、定番だけど音楽とか。鬼束ちひろさんの「私とワルツを」とかKOKIAさんの「大事なものは目蓋の裏」とか……何度も聴いたし、何度も助けられた。苦しくなったら、よくこれらの曲の中に逃げ込んでいた。今だって偶に助けられる。


あとは小説や、知らない街を散歩した時に見た数々の景色もそう、学校の帰り道、好きな番組、好きな場所、好きな時間……。


……改めて考えてみたら、僕の依存先に人が全然居ない……寂しいやつ。


けど、僕が今ギリギリ踏みとどまって、無神経な言い方かもしれないけど、生きていられているのは、依存先を人だけに絞らなかったからだと思う。


割と早い段階で音楽や小説という逃げ道を獲得できたし、風景に癒されることも知れた。


だから助かっているのだと思う。


そして、それでもまだまだ足りない。


今も苦しくてすぐにメンタルがどん底へ落ちてしまうのは、まだまだ依存先が少なくて……自立できていないのだと思う。


「だから心を打ち明けられる人が一人でも居たら違うのに!!」


というのが確かに本音だし、そんな人ができれば相当に心強いのが事実だ。


だから作れば良い。


けど、すぐにはできないだろうし、そういう出会いだけに賭けるのは危険過ぎる。


大体、そんな依存先を求め彷徨うメンタルの状態で誰かと仲を深めるのは普通よりもずっと難しいだろう。


だから人ではないものに少しずつ依存して、足りない分を補う。


そうやって気持ちを保っていれば、いつか心から通じ合えるかもしれない誰かに会ったしても、いきなり全力で依存してしまうなんて事態は避けられるんじゃないか。


……ということを最近は考える。


僕らみたいな人は、人を求め過ぎて人を遠ざけてる部分があるように感じる。


別に人じゃなくても良いんだ、と思ったら楽になるんじゃないかな。


依存するものは必ずしも人でなくてならないのか?


人以外のものに心を預けるのは不健康だろうか?


人の絆は強いだろうけど、誰かと繋がる強さすら獲得できなかった人達は永遠にそのステージに立てないのか? 奇跡的な出会いを待つしかないのか?



僕は依存先は人じゃなくて良いと思います。


人じゃなければ選び放題だ。


心酔する曲、景色、小説、沢山作ってしまえば良い。


依存すれば良い。人と違って、どれだけ下手な依存の仕方をしても嫌がられないし。


大切なのはその数を増やし続けること。


多分、人でなくても、依存先を絞るのは危険だと思う。例えば一つの曲にばかり依存してしまったり。


依存先を増やして増やして、皆とは違うルートで大人になろう。というか、それしかないだろ。



かと言って、大切な誰かとの出会いを諦めたり拒否してる訳でもない。


例えば……未来の奥さんとか……そろそろ僕の前に現れて良いんだよ……。


未来に奥さん、居るならの話だけど。


本当。


居ないなら居ないでハッキリ知れたら良いのに。


とか言ってたら最寄り駅が近付いてきたので、ここら辺で。


ではまた。

271日目 「まさに毒」


祈りが通じたのか、台風は関東を避けてくれた。おかげで楽しみにしていた月・火のライブは無事に行われた。至福の時間だった。


ただ東北や北海道の惨状を見ると素直には喜べない……本当に迷惑な台風だった。


まあ、とりあえず僕にとっては良い二日間になった。


ライブの開始時間や会場の関係から、僕は二日間とも友人宅に泊まった。


これも良かった。久しぶりの外泊は相当に心が癒された。あんなに熟睡したのは一体いつぶりだろう。


夜中は弟が隣の部屋で大騒ぎし眠りを妨げられ、早朝には父の痰を吐く音やトイレの音、怒鳴り散らす声に起こされ……そういえば満足に眠れないのが普通になっていた。


きちんとした眠りをとれば大半の疲労は解消されるのだ、という当たり前の事に少し驚いた。


二日間ともバイトをしてからライブへ行き、友達の家まで最寄り駅から歩いて向かったから、一日で27キロも歩いていた。二日で54キロ。プラス、バイトは肉体労働だし、ライブでは立ちっぱなしで叫びまくっていたから……。


疲労は相当あったはず。なのに、目覚めた時の体調は普段の何倍も良かった。もちろん疲労も眠っている間に抜けてしまった。


正しい睡眠の力、すごい。


ライブで精神面がリフレッシュされたのも大きいだろう。


普段のストレスがどれだけ体に悪影響を与えているかが分かる。


それは今日、家に帰ってきてからも実感した。悪い意味で。


両親の言動がどれだけ他人を軽んじているか、どれだけ未熟な心を持っているか、その鬱憤がどれだけ当たり前のように僕にしわ寄せされているか。


よく分かった。帰宅して数時間で、もう胃が痛い。これは酷い。


家にいると「いや、親がどうとか言ってるけど本当はそんなに悪い人達じゃないだろ。まずは自分が変わらないと!」なんて考えるようになってしまう。


それを疑わないし、むしろ成長したように感じてる。


けど違う。


こうやって暫く距離を置いてから家に帰って来ると、毎回ここの醜さ下品さに気がつく。


そうだ。これは初めて感じることではないんだ。


なのに毎回忘れてしまう。


家で過ごす内にどんどん親に慣れていく。消耗している自分が悪いんじゃないかと考え出す。


まさに毒だ。少しずつ回って、気が付いたら……毒親というネーミングは上手だなと思う。考えた人は誰なんだろう。


ちなみに、もう今の時点で「毒親」という言葉を使うことに後ろめたさを感じている。


帰宅直後の感覚が薄れている。もう毒が回っているのか?


胃が痛い。吐き気がする。早くないか。外とのギャップがあるから酷く感じられるのだろうか。


……ああ駄目だ。もう外でのリラックス感は消えた。


これはどうしたら良いのだろう。まずは自分を変える、なんて言うけれど、何を変えれば。



とりあえず、自分が大切にしていることは守ろう。


例えば読書。音楽。こんなのは何の役にも立たない……なんて気にしない。いつかきっと何処かで実を結ぶと信じる。これらを自分から取り上げたら本当に何も残らない。


あとは、筋トレも再開したい。実はバイトを始めてからほぼできていない。


二回ほど再開しようと試みたが、一回目は体調を崩し寝込み、少し負荷を落としてみた二回目は全身に発疹が出た。


体力的にまだバイトと筋トレを両立するのは難しいのかもしれない……なんて思っていたけど、今回のことを踏まえるとストレスが影響してるのかもしれない。


……あるいは、バイト変えてみようか。


先輩にも「ここは長居しない方が良いよ」とか言われてるし。


何にせよ、やはり新しいアクションが必要で、そのことは意識し続けておかないと、この毒に負ける。


何か思いつくと良いな。


ではまた。

267日目 「台風」


週明け、また台風が来るらしい。


天気予報でも連日言われているけど、わざわざUターンして日本へ戻ってくるらしい。


何だそれ。勘弁して欲しい。


前回の日記に書いたけど、月曜の台風の時は散々な目に遭った。しかも今回は前回より勢力が強いらしい。


見える……また職場がパニックになって、イライラした上司や他部署のお偉いさんに怒鳴り散らされている自分が容易に想像できる……。


いっそのこと、良いタイミングで直撃してもらって、電車が止まれば良い。そうしたら堂々とバイトを休める。


……と普段なら思えた。しかし今回はそうはいかない。電車に止まられると困る。


台風が直撃するとされている来週の月曜・火曜は、友達とライブへ行く予定なのだ。


これは何カ月も前から楽しみにしていたライブだった。


今週はバイトで毎日新しい仕事や激務を割り振られ、何度も心が折れそうになったが「来週はライブへ行けるんだ…!」という想いを心の支えにしていた。


一年に一度の大きなライブ。本当に楽しみで、去年も沢山の力を貰った。


なのに! なんで! その日にドンピシャで台風がUターンしてくるんだ! おかしいだろ!


一年で最も楽しみな二日間が、激務によって心身を消耗するだけの二日間になるかも……という最悪の事態が日に日に現実味を増している。


勘弁してくれ。


良いから。なんか、何かの奇跡が起きて太平洋の中で消滅するなり海の上を進むなりしてくれ。上陸しないで。


本当。頼む台風。帰って来ないで。


……どうしても来るなら、中途半端なことはしないで電車はきちんと止めてな。


学生の頃は台風は歓迎するものだったけど、今は全力で追い払いたい。


奇跡的に台風が上陸しませんように。



ではまた。