雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

#35

 宇佐見りんの『推し、燃ゆ』を今さら読みはじめた。序盤の、前の席から主人公へプリントが回されてくるシーンを読んで懐かしくなった。後ろの席のヤンキーが眠っているときは、起こさないで机の端っこにプリントを置いて、もう一つ後ろの席の子にプリントを渡していたな、とか。振り向いて「はい」とプリントを渡してくれる人と、振り向きもせず肩のあたりでパタパタさせるだけの人と、いろいろいたな、とか。こういう記憶ってどうして残っているんだろう。普段は全く思い出さないのに。どうして忘れてしまわないのか。思い出さないときはどんな形をしているのか。

 格闘技を見るのが好きで、この前推しの選手が世界王者になってとても嬉しかったのだけど、そのことを誰とも分かち合えないことが今回、急に引っかかった。悲しいことも嬉しいことも、些細なことも重大なことも、昔から人と分かち合わない。なにかが腐っていくと思う。社会動物としての機能。社交に使われる能力、脳の領域。そこが廃れることは社交以外にも影響する気がする。

 だからといって誰かと毎日話をするのは難しいけど、せめてブログに書き残さないとな、と思った。そう思って最近またブログを書いてる。今回はなるべく長くつづけたい。脳機能のために。