雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

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 先週、仕事帰りに駅前を歩いていると「クリスマスってなに」という声がした。見ると青や白や金に輝くイルミネーションを前に親子連れがいた。

「うん、なんか、キリストって人の息子の誕生日で、それをお祝いする日なんだって」

 そう話す女性の手を握りしめて、でも幼い男の子は、返事もしないでイルミネーションを見つめていた。女性のもう片方の手はベビーカーをゆらしていて、そのなかにも子どもがいた。ベビーカーの子は眠っていた。そうなんだ。息子のほうの誕生日なんだ。キリストの誕生日なんだと思ってたけど、知らなかったな。

 けど、駅に入って、電車に乗るころになって「あれ」と思ってグーグルで検索したら「クリスマスはキリストの降誕を祝う日です」とのことだった。キリストの誕生日でも、その息子の誕生日でもない。僕もあの女性も誤解していた。あの女性に息子の誕生日説を唱えた人も、誤解している。あるいはそういう新説や信仰もあるのかもしれない。わからない。ここからさきは闇。

 クリスマスが終わってしまったから、あれだけ街中にあふれていたクリスマスソングがぴたりと鳴りやんでしまった。樅の木も、赤白緑のラベリングも、鈴もない。すこし寂しい。クリスマスが終わるとクリスマスをしたくなる。天邪鬼なのと、あと、終わったものは安心して好きになれる、みたいなところもある。終わったものは自分を傷つけない。自分と関係しないから。知らない街の景色とかもそう。自分と関係ない街は魅力的に見える。人の姿が曖昧になる夕方なんかは特に。クリスマスの夕方なんて格別だろう。クリスマスの飾りつけはどれも暗い場所に映えるようにできている(ような気がする)。「クリスマスの夕方に知らない街を歩きたかったな」と毎年のように思う。毎年叶わないでいる。

 今年の暮れ、長い。個人的に。なかなか2020年が終わらない。

 

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