雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

#13

 退勤後なにも考えずいつも通り駅へ向かい、なにも考えずに駅のマツキヨで買い物をしていたら、普通に電車に乗り損ねた。ホームに降りたら電車が居なくてびっくりした。田舎の路線だから次の電車が来るのは30分後になる。家族に帰りが遅くなることを伝えた。失敗した。けど失敗したおかげで、久しぶりに自由時間を得た。

 改札階にもどって駅中の本屋へ入った。一ヶ月ぶりの本屋だった。一ヶ月寄らないだけで文芸の棚には知らない作品がたくさん陳列されている。どれもこれも欲しくなる。迷った末、高原英理の『日々のきのこ』と山田風太郎傑作選『赤い蠟人形』を買った。また暫く本屋には来れないのだろうと思ったら冒険できなくて、結局は知っている作家の本を選んでしまった。けどきっとどちらも良い本だろう。

 さっそく高原英理のほうから読みはじめた。そうしたらやっぱり良くて、読みながら笑ってしまった。影響を受けた作家を五人挙げなさいと言われたら高原英理は入るかもしれない。あとの四人は乙一中田永一、山白朝子)、米澤穂信桜庭一樹、呉明益かな。いや。呉明益は『歩道橋の魔術師』の一作に引っ張られすぎているかもしれない。影響を受けた“本”を五冊挙げなさいだと『歩道橋の魔術師』は確実に入る。けど呉明益の他の作品からはあまり影響は受けていないと思う。だから影響を受けた作家に入れるのは正しくないかもしれない。そうなると残りの一人は誰になるだろう。三秋縋かな。初期の作品は信者になりかけるくらい好きだった。けどその気持ちはあまり長く続かなくて、最近はもう新刊情報も追っていない。

 読みながら思わず笑ってしまった高原英理の文章

 私鉄緑郷線深與駅だそうだ。 最寄り駅の名前だけでこみ上げてきそうである。駅で降り、 市街地をゆらゆらと抜けてバスに乗ると、 だんだんと山中に入って行って、見えてきた。
 傘の直径十メートルばかり、 高さ二十メートル以上はあるだろう大きのこの林立する中をバスは 進み、杜鞍口という停留所に来たので降りると告げた。
 降り際、
「一言伝えることになっています」
 と運転手が声をかけてきた。
「考え直した方がいいですよ」
 それが杜鞍口で降りる客への助言であるらしい。
 はい、とだけ答えると、それ以上、運転手の言葉はなかった。
 バスが扉を閉ざして行ってしまうと、 しーむしーむと遥かな茸鳴きだけが耳にある。
 赤い字で「杜鞍口 とぐらぐち」 と書かれた丸い表示板を支える柱が立つだけの停留所で、 待合のための小屋も椅子もない。
 ここで降りる人はいても待つ人はいないのだと思った。
 表示板のある側に延々続く高い鉄柵があるが、 壊されて大きく開いたところがあり、 そこから細い道が森の奥へ延びている。
(『日々のきのこ』高原英理

 最初の「こみ上げてきそうである。」と「見えてきた。」に主語がなく違和感のある文章だなと思ったら、次の行で巨大なきのこが林立している。主語を省いた空白に巨大きのこの存在が突然飛びこんでくる。そういうやり方があるんだと思った。その後も綴られる文章がずっと強い。強い。大きな展開を書いているわけでもないのに一行一行に惹かれる。ちなみにこの後は高原英理ワールド全開でどんどん意味が(わかるんだけど)わからなくなる。わからなくなることが楽しい。自分の想像や感性の限界を痛いくらい突いてくる小説は楽しい。普段、不安を餌に不毛な方向にばかり広がろうとする想像力が、本物の想像力を前に平伏してしまう。気持ちいい。