雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

 

 ふとしたときに自分の名前と誕生日を忘れる。目が覚めたとき、自分が誰なのかわからなくなる。そういうことが増えた。

 多分、他人とコミュニケーションをとっていないせいだと思う。毎日同じ人たちと同じ会話のパターンをくりかえしてる。コミュニケーションというより反射。脊髄反射の反射。やりとりがないから、自分についての客観的な情報が返ってこなくて、一方通行の主観だけあって、自己認識がどんどん曖昧になっていく。

「良くないな」を通りこして「怖い」になってきたから、最近は積極的に日記や雑記を読みかえしてる。日記と雑記は、もう5年くらい毎日書いてるから。自分についての情報がそこにはたくさん書かれている。それを読んで、あ、自分ってこういう人だったなと思いだす。生活の連続性みたいなものをとりもどして、多少は昨日のつづきを生きることができるようになる。

 けど、日記や雑記だって主観の集まりだから限度があるみたいで、やっぱりわからなくなる。手応えがなくなる。一方通行の感情が発せられるだけで、返ってくるものがない。無限の一方通行。自分とコミュニケーションをとることはそれはそれで充実するものだけど、時々わからなくなる。「わからない」になる。

 なんでもいいから、やっぱり外に言葉を残さないと狂ってしまうと思った。リアルで雑談できる相手はいないし、SNSは苦手だから、ブログがいいのかなと思って、それで久しぶりに書いた。

 創作ではなく、自分の話を、自分の外に置いた。その事実があれば安心できると思う。日記や雑記は自分しか読まないから自分が死んだら消えてしまう。結局僕もこの世に自分を残したい。思ってることは特に。

 自分がわからなくなる、と書いたけど、僕は自分を「想い」とか「思考」のことだと思ってるのかもしれない。それならたしかに他人と会話しないと自分は日々減っていく。他人に伝えないと自分しか知らない。思い出させてくれる他人がいないと。自分は忘れる。忘れるのはあたりまえだから記録しないと。

 人間関係、が希薄。人間関係が嫌で避けつづけているから。人間関係の希薄さは自己認識の希薄さにつながる。関係のなかの自分がいない。関係のなかで人は「比較」をして自分を知る。自分がどんな姿でどこにいるのかを知る。比較対象がないと自分のことが計れない。

 

 なにを書いてるのかわからなくなってきた。

 けどこれくらいの感じでないとつづかないかな。

 毎回1000文字くらいを目安に書きたい。