雪になりたい椿の日記

雪になりたい椿の日記です

#27

 職場の休憩室で目を閉じていたら、ふと脈絡もなく、中学生の頃の記憶が蘇った。登校するときの一連の流れ。家の玄関。自転車。通学路。学校の坂。朝の校舎。ジャージで登校していたこと。履いていた靴。何の変哲もない記憶。どこか特定の一日ではなく、そういう毎朝があったことを思い出した。どうして急に思い出したのだろう。わからないけど、思い出せてよかった。すっかり忘れていたから。忘れていたことを思い出すのは嬉しい。

 嫌なことは大抵よく覚えてる。どんなふうに虐められたか。どんなふうに拒絶されたか、口封じをされたか。嫌なことを忘れられないのはどうしてだろう。その意味をいまも考えつづけているせいだろうか。「どうして自分は理不尽な目に遭ったのか」「どんな落ち度が自分にあったのか」心はずっと考えているような気がする。考えても仕方のないことだけど、それでもやっぱり答えがほしいのだろう。答えは自分で用意するしかない。どこかにある正解を探すのではなく、自分が、自分の問いに回答するしかない。

 認め難いこと。悲しいことばかりだった学生時代にも幸せな時間はあった。そして、その幸せな時間こそが、自分を社会不適合者に導いたのだと思う。大人になって、いろいろなことに適合しようとするいま、嫌なことばかり覚えていて、幸せな時間をあまり思い出せずにいるのは、だから自然なことなのだと思う。